世の中にはちょっとヘンな人がいっぱいいるのかもしれない
イベントで知り合ったスペイン人研究員との会話
「こんにちは~」
「こんにちは!I'm from スペイン!ビールはスペイン語で~~~、ビール二杯頼むときは~~~(超早口で聞き取れない)、スペイン行くときは使ってね!」
「グ、gracias...」(; ・`ω・´)
~~~
「ところでなんで日本来たの?」
「奥さん日本人だし、日本好きだし」
「へー、じゃあいま留学じゃなくて家族で日本に住んでるんすね」
「いや、奥さんはスペインにいるよ。奥さんはスペイン好きだし」
(; ・`ω・´)...
「奥さんとはスペインで出会ったんですか?それとも日本?」
「いや、ロンドン」
(; ・`ω・´).........
世界にはこんな人ばっかなんだろうかなぁ
you are just 24
あなたが24歳だったとします。あなたはいま24歳です。
さて、24歳になって意識することはなんでしょう。
amskさんが感じたのは…
「いつまでも同じやり方をしてちゃだめだなぁ」ということ。(; ・`ω・´)
そう、いつまでも同じやり方で勝負して、そのうえ勝ち続けるなんてできるわけがない。そんな当たり前のことを、24になるあたりで突然気付いた。いや知っていたはずなんだが、常に意識するようになってしまったという方が正しい。
生きてくうえでは体力が絶対に必要だというのはよく思うし口にすることなんですが、体力だってゆるやかに落ちていくだろうしね。体力ばっかでゴリ押していけんのも若いうちだよなんて、24なんてまだまだ青いからなんかあってもゴリ押すけどね。つかいま絶賛ゴリ押し中なんですけどね。
でもこの先それだけじゃやっていけない時が絶対に来ると思うのね。
きついなって思った時に役に立つものってなんでしょうね。やっぱ生身の体験なんでしょうか。
そういや24になって言われたのが「おっさん」でした。いやまあ冗談で言ってるんだ(ろう)けど、それでもやはり「おっさん」に近付いていることは確実で。
20代折り返しまであともうちょっと。
大学院入試のはなし
誰に向けて書くわけでもないけど(最初からこんなことも書いているし)最近わりとよく聞かれるので、大学院の入試の面接で聞かれたことをサラサラと書いておきます。
「なぜ大学院に進もうと思ったか」
「なぜこの大学院なのか」
「大学院でしたい研究テーマは何か」
「研究テーマを思いついた動機は」
「自分自身の問題意識と大学院での研究テーマはどうつながるのか」
「今後する研究に向けてこれまでどのようなことをしてきたか」
「修論で苦労しそうだと思うのはどのような点か」
「修士修了後の進路はどうするのか」
「卒業研究の内容は」
「卒業研究と分野が全く違うが、なぜ卒業研究から分野を変えるのか」
持ち時間10分しか無かったけど、あともうちょっと他にあった気がする。他大学の志望状況とか両方受かったらどっち行くのとか。答えづらいっつーの(´・ω・`)
サムライウーマン
都内某線でのこと。8時台の通勤ラッシュでごった返してる中、電車に乗ろうとしてたのは
背中に刀を差したパツキンのチャンネー
こちらの満員電車の様子を見てcrazyなやっちゃな、なんて思ってたんかしら。乗れねー…みたいな顔してたし。結局乗ってこなかったけど。
忘れかけていたサムライ・スタイルを感じた次第でこざい。ああ、スシ食いてぇな。
スキルと理論
ここのところ、「スキルと理論」の関係性について考えています。それはまた、いまのamskにとって、「技術と科学」の関係性を考えることでもあるのですが。おそらく、「技術と科学」というより、「スキルと理論」と言った方がより適用できる範囲が広くなりそうな気分なので、そっちの方を考えた方が良いかなぁ、なんて思いつつ。どんな言葉を使うかだけの話ですけども。
さて、このスキルと理論の関係性について、ある学者さんがおっしゃっていたことがあります。
「理論があって、それを技術へとブレークダウンしていくこと。つまり、技術を誰しもが使えるようにすることが、研究ということであり教育なのだと思う。」
うろ覚えですが、だいたいこんなことを言っていたような気がします。amskメモにはそう書いてある。
この方は研究者としてだけではなく教育者としても立派な方ですので、自らの研究もそれを次世代にどう伝えるか、という観点からされているのだと思います。
少し気になるのは、この言い方だと”理論がスキルに先だつ”という風に見える点です。果たして「技術」としてどのようなものを想定しているのかまでは図りかねましたが、これはちょっと違うかな、とも思いました。
さて、また別問題の話になりますが、あるスキルがあってそいつを理論へと導くことは可能なんでしょうか。たとえば、ジョブズみたいな、とんでもないプレゼン上手がいて、そいつのプレゼンはなぜプレゼン上手と言えるのか、という問いは一般に言って成り立つものなんでしょうか。
結論から言って、そこに問いを立てて”科学的な”仮説を立てることは可能であると考えます。すなわち、スキルに理論を求めるということは、おおよそ可能なことなのではないでしょうか。それを人が評価してくれるかなんてことは知りませんが。
ただし、ここで気を付けなければならないのは、その理論を構築したからと言って、それがすべての人に適用できて、スキルを誰もが使うことができるなんてことはないということでしょう。スキルはそれを持たされた人がどう磨くのかを考えてこそ使えるものでしょう。
その意味において、やはりスキルと理論とは分けて考えなければならないものであると思います。スキルに理論を組み込んだらうまくいった、なんてことはあるでしょうけれども、それは結果論にすぎません。理論は理論として独立し、スキルはスキルとして独立していて、たまーにそいつらが組み合わさって新しいものが生まれていく、というもんじゃないでしょうか。
もっとも、スキルも理論も積み重ねてこそ光るなんてトコは変わりませんけどね。
”必ずそこに理論が存在する”と考えるのは非常に危険なことだと思います。うまくいっちゃえば、それはそれでいいんじゃない。人間だもの○<´・ω・`>○ビローン
東京発どこか行
いま現在東京に住んでるamskさんですが、今後どこかに大移動する可能性がなきにしもあらず。しかしできれば本拠地は東京に残したい。
東京にいりゃ物質的なものならなんでも揃っちゃうんですよね、たぶん。その便利さと引き換えに自分の意志で出ていくとなると、そらもうめちゃくちゃ強い意志をもって出て行かなきゃやってらんないよななんて思います。
便利なんですよ、東京。羽田に行けばどこでも行ける。新宿行けばなんでも揃う。上野に行けば珍しいものが見られる。東京じゃなくても都市圏に行けばそれなりにはなりますけどね。。。
脱中心化が進んでいく現代ですが、それでも首都の強さを感じます。
果たしてamskさんは東京離れてどこかに行っちゃうことあるんでしょうかね。あるかもしれないね。行く末は神のみぞ知る、なんちって。
ベルギーのスシはうまかった
お休みを使ってデジカメの写真整理してました。
2月に行ったベルギーの写真がめちゃくちゃ多くて、もはやどんなシチュエーションで撮ったかも覚えてないものもあるんですが、逆に写真見て思い出すことも。スーパーのスシがうまかったとかね。さすがカルフール
思い出深いのは、電車の行き先変更のときにおばあちゃんに助けられたときですね。そりゃ車内アナウンスが飛び交う中、アジア人の顔したやつが一人でキョロキョロしてたら「あぁこいつ言葉分からなくて困ってるんだな」って思いますわな。ありがとうベルギーのばーちゃん。
あと、観光地だとビミョーに日本語話せる人がいたりする。ホテルのフロントで「アサゴハン」って言われた時にゃたまげますよ。日本人観光客がわりと多いんだとか。同じ町のレストランじゃ「シェイシェイ」なんて言われちゃったけどね。中国人はどこにでも現れる。
そんなわけで最近なにかと物騒なブリュッセルを見て、悲しくなっちゃったりしてます。